哲学の知識があると苦しい時に役立つと浦壁氏はいう

哲学に助けられた浦壁伸周氏

哲学の知識があると何に役立つのかと疑問を感じている人もいるかもしれませんが、これがあると苦しい時に役立つと考えると良いでしょう。
ということは、苦しくない時には別に無くても問題はないということです。

哲学は物の本質を見極める学問と言われていて、このことによって何か生産性が上がったり、サービスが良くなったりというような事があるわけではありません。
考えるだけ時間をかけることにもなりますから、ある意味では非効率という事が言えなくもありません。

ですが、苦しんだり悩んだりしているような時にはこの学問が大いに役立つことがあるというわけです。
人はとかく悩んだり苦しんだりすることが多いので、この学問が役立つことも多いという事になるのかもしれません。
浦壁伸周もこれまで幾度となく人生で哲学に助けられたと語っておられました。

特に人は苦しいと感じたりする時には何かにすがりたいという気持ちになるので、そのような時にこの知識があると心の中一本の芯のようなものが出来て、穏やかに過ごすことが出来るという事につながったりするわけです。
逆に知らなければどうすればいいのか不安で不安で夜も眠れないという事になったりすることも考えられます。

哲学を考えることで別に何の変化もない

別にこの哲学を考えるとこで、自分の技術が上がったり、信用が上がったりすることは無いので見た目には何の変化も無いというのが、この知識の特徴でもあります。
ですが、心の中に芯が出来ているので自分がすべきことがハッキリと分かっているという事で、迷いなく自分の道を進むことが出来るようになるのが、この学問の凄いところでもあります。

迷いなく人が進めばいかに大きな事が出来るのかはこれまでの人の歴史でいくつも証明されているといってもいいでしょう。
そして、そうした偉業を成し遂げた人たちの多くがこうした哲学の様な話をしていることも特徴的なところです。

そうした人の中にはこのような知識がなかった人もいますが自分の経験によって自分なりの答えを出して、そしてそれを信じて行動してきたという方も大勢いるはずです。
ですから、この学問は答えが一つというわけでも無く、正解という明確なものがあるわけでも無いという事が特徴的なところでもあるわけです。

哲学に関心のない人

このある意味でのあやふやなところが、関心のない人からは意味不明とされる理由の一つとなるのでしょう。
人はあやふやなものは忌み嫌うところがあり、明確な答えがないものは出来るだけ遠ざけたいと考える節があります。

特に人生で困ったり、苦しんだりしていない人であれば、この学問は無くても問題は全くないわけですが、困っている人のは場合はこれがあるととても助かります。

何しろ知識としてあるだけですから、手に入れる事は誰でも無料で簡単に手に入れることが出来ます。
それでいて、自分でそのことを信じることが出来れば大きな力とすることも出来るようになるのが、この知識の特徴的なところでもあります。

困っている人は自分の考え方のよりどころを探しているものですから、その拠り所となる事が出来る考えがあれば、それを心の芯として活用することで自分のモチベーションを上げていく事が出来るというわけです。

自分の心に一本の芯ができるメリット

自分の心に一本の芯が出来れば大抵のことは乗り越えていく事が出来ます。
特に難しい事を考える必要がない事も理解できるようになるでしょう。
人は所詮できる事しか出来ないわけで、高望みをしても意味がないですし、逆に自分は無力だと卑下することも意味がない事も理解できるようになるはずです。

人の能力には本来それほどの大きな差はないわけで、本質的にはほとんど変わらないという事も理解できるようになるでしょう。
そうなれば、他の人に出来て自分にできない理由は無いという事も分かってくるはずです。

多くの人が困難を抱える時には他人と自分との差異について悩むことが多いわけですが、哲学を学べばそのような差は取るに足りないものであるという事も理解できるようになるはず。
それが分かれば後はその少しの違いを埋めることをすればいいわけで、それが努力によって可能だと理解すれば、どんどんと努力をすることが出来るようになります。
そしていつしか目標とするところにたどり着いている自分に気づく事になるでしょう。

浦壁伸周が考える哲学の終着点とは

知識は目には見えませんが、あれば大きな力の源となってくれます。
無ければこれを活用することも出来ませんが、あればそれだけ自分の行動に自信を持つことが出来るので、迷ったりした時にもこうした知識が役に立つわけです。

ですから、自分の行動に迷いがあるような時にはこうしたことを考えてみるのもいいかもしれません。
少なくとも何も分からないでその場でとどまっているよりは、よほど前に進むことが出来るでしょう。

こう考えるとある意味では宗教に近いものがあるのかもしれません。
宗教は神に救いを求めるものですが、哲学は自分の心の中の考え方や思考、知識といったものに救いを求めるという時に利用するというところが違うことになるのかもしません。

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